三島由紀夫を掘り下げようと思ったブログです。
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 三島由紀夫(みしまゆきお) 幼少期 幼少年期 <1925(大正14)年~1940(昭和15)年> 1937年中等科に進むと文芸部に所属し、8歳年上の坊城俊民と出会い文学交遊を結ぶ。以降、中等科・高等科の6年間で多くの詩歌や散文作品を発表する。1938年には『輔仁会雑誌』に、最初の短篇小説「酸模〔すかんぽ〕-秋彦の幼き思ひ出」と「座禅物語」が掲載された。1939年、祖母・夏子が他界。また同年第二次世界大戦が始まった。またこのころ、生涯の師となり、平安朝文学への目を開かせた清水文雄と出会う。学習院に国語教師として赴任したのがきっかけだった。1940年、アオジロをもじってみずから平岡青城の俳号を名乗り、『山梔〔くちなし〕』に俳句、詩歌を投稿。詩人川路柳虹に師事する。退廃的心情が後年の作風をほうふつとさせる、詩「凶ごと」を書いた。このころの心情は、のちに短篇「詩を書く少年」に描かれ、詩歌は『十五歳詩集』として刊行された。このころオスカー・ワイルド、ジャン・コクトー、リルケ、トーマス・マンのほか、伊東静雄、森鴎外、そして『万葉集』や『古事記』などの古典文学も愛読した。
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